2009/06/16

Person of The Year 2008 #02

  • 2008年11月02日の旧エントリから転載・改編
 最初に長々と余談を.

 自分は実験が嫌いだ.といっても,実験という行為そのものが嫌いなのではなく,科学実験に付きまとう細かい数値を追うのが嫌いだ.現代のいわゆる研究に付随するような実験には目眩のするような高い精度と,気の遠くなるような長い時間が求められる.そして何より,こうした実験に必要なのは卓越した情熱と,想像を超える労力だ.そうした実験を蔑んでいるわけではなく,それらに比べると素朴に,思考実験の方が気楽で楽しいのだ.

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 少し前,日経新聞の「私の履歴書」の中で野依良治さんが最近の自然科学の方法に対して懐疑的な記事を書いていた.要するに,コンピュータを使った安直なシミュレーションと定式化の連鎖に科学の方法を求めるのではなく,素朴な発想や地道な実験に訴える科学の方法を忘れてはならない,といった類の話だったと思う.

 Keplerが行ったような精密な計算は今日のコンピュータで簡単に再現出来る.逆に,時代がコンピュータを手に入れてしまった今となっては手計算で彼等の足跡を辿ろうとする気概のある研究者はいないだろうし,自分だって面倒な計算は出来れば避けて通りたい一人だ.ではKeplerの方法をコンピュータに手渡すデメリットは何か.その一つには,「何故間違えたか」の答えを探す難しさがあると思う.実験には失敗がつきもので,計算機実験には失敗を簡単に棄却してしまう危うさがある.失敗にも意義がある.失敗の科学史が本質を絞る手掛かりになるように.
  • Conan Doyle "When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth."
 でも,思考と実験を分離することはある程度可能だ.特に基礎研究であればある程,実験の本質は計算に近付くから,計算くらいは計算機に丸投げしてもいいじゃないか.自分を含む世の中の99.99999%の人は,Keplerのような卓抜した才能を持ってはいないのだから.

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 実験の方法は変わっても,仮説を立てる思考のプロセスは変わらない.全ては論理だ.公理から出発し,矛盾のない体系を組み立てていく.数学的なその方法を数学者から学ぶにはある程度の準備と修行が必要だろうけれども,同じ方法のEinsteinの思考は,対象がより公理的なものであるがゆえに,特別な知識や才能無しで追い掛けられる.数多の天才の中でEinsteinに特別な光明を見出したのは,自分が凡人だったからに過ぎない,と思う.

 裏を返せば,誰もがEinsteinを学び,誰もがEinsteinになれる可能性を持っている.

 自分はEinsteinには遠く及ばないけれども,理論的に,理性的に物事を眺める経験はそれなりに積んできたし,その少なくない部分をEinsteinに負っているのもまた事実だ.そして彼の残した名言たちの真意も,結局そういうところに行き着くのではないかと思う.

 人類の財産であるはずの「」を見失って,政治も社会も混沌を極めていく時代だからこそ,もう一度「Einstein」にたち返る意味がある.Einsteinの足跡を直接辿り,感じる事で,彼の存在感を改めて確認した夏だった.

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