ご存知,世界最大のSNSに成長したFacebookを題材にした映画.非常に高かったアメリカでの前評判を裏切らない,とても内容の濃い映画だった.脚本,演出,音楽,どれも一級品で,2011年の映画ベスト10は当確を出せる作品.今年最初の映画館での鑑賞だったけれど,個人的な趣味の相性もあって大当たりだった.
世界一若い億万長者として知られる創設者のMark Zuckerbergが主人公で,Facebook創設から大企業に成長するまでのストーリーがポップに描かれる.主人公のZuckerbergは,自身の起こしたハッキング事件の汚名を返上すべく,SNSサイトFacebookを開設する.もともと大学のローカルサイト用にデザインされたFacebookはやがてアメリカ全土,更には世界中を広がった一大サイトに成長するが,そこには知的財産権の問題や金銭問題も混在していた.この映画は,そんなFacebookの表と裏をコミカル且つアップテンポに描き出した作品.
まず,webサイトがテーマになっているにも関わらず,脚本が物凄く練られている.脚本で勝負していると言ってもいい.象徴的なのは映画のオープニング.ウェスタンすら感じさせる古ぼけた色彩の喫茶店で,お互い淡々と会話を切り返す男女のカップル.このシーン一つで十分見た甲斐があったと思える予想の裏切りっぷり.CGや派手な演出があるわけでもなく,あくまでプロットにこだわったDavid Fincher監督のセンスは流石.伊達に過去何本も名作を生み出していない.元々,Zuckerbergへの訴訟がネタになっているだけあって,色々な角度からFacebookを描いており,様々な問題をテーマにZuckerbergの個性的なキャラクターが着実に輪郭づけられていく.(自分も含めた)いわゆるオタクと呼ばれる人種にありがちな,一つのことに熱中するあまりほかの事に盲目になってしまう性格が一際色濃く描かれているあたりは,人によって物凄い共感を覚えるか,ある種の嫌悪感を覚えるか両極端かも知れない.
ストーリーや演出については,自分のバックグラウンドを踏まえて,二つばかり魅力を書き留めておきたい.
一つは,エンジニアリング的な面白さ.Facebook立ち上げの段階で,どういうプログラミング環境で,どういう設計をしたのか,大雑把ながらもコアなネタがところどころに織り交ぜられているので,その手の知識がある人が見たらワクワクしてしまうに違いない.実際のコードと照らし合わせて,Perlなら自分にも組めるな,ここでLinux導入か,Apacheを使っているのか,などなど勉強になる場面がチラホラ(必ずしも字すべてが幕に反映されていないので英語を聞き取った方がいい).ただ,「天才」みたいに描かれるZuckerbergの人物像とは裏腹に,Facebookは当然のことながら革命的な技術を用いているわけでもないし,斬新なアイディアに基づいて設計されているわけでもない(システム上のアルゴリズムはどうか知らないけれど).Zuckerbergがほぼ一人でサイトを立ち上げたという点が凄いのであって,ビジネスやマネジメントのセンスは寧ろ皮肉的に描かれている点も忘れてはならない.但し,広告を忌み嫌ってまで極限的にシンプルなサイトに仕上げた彼のデザインセンスは賞賛されるべき才能だろう.
さて,ではFacebook成功の鍵はどこにあったのかという点が,もう一つの面白さだ.この映画から察する限り,どう考えてもFacebookの成功の鍵はSean Parkerとヘッジファンドだろう.ビジネス嗅覚のあるSean,Facebookを一大ビジネス化するタイミングも見事だし,スポンサーという名のヘッジファンドの出資をこぎつけたあたりも非常に優秀.加えては,エクイティ・ファイナンスに持ち込んで遂にはCFO解任にまで追い込んだヘッジファンドのやり方は非常にクレバー.知的財産の問題や権利上の問題といった法的側面も含め,面白みのあるファイナンスのケーススタディだと思う.強欲を絶対的な悪とし,M&Aをはじめとするファイナンススキームもメディア総出で叩きのめす,既得利権を守ることで精一杯な日本経済の,反省材料にすらなりそうなものだ.アントレプレナーシップを大いに刺激される映画だった.
最後に,この映画で一番不意をつかれたのが,エンドロールのThe Beatles!エンドロールでBeatlesを使って来る映画なんてちょっと記憶に無い.俳優も若手中心,撮影技術も真新しいものは無い中で,実は一番お金をかけているのはこのBeatlesの版権だったりするんじゃないかと個人的には冗談半分で思ってみたり.尤も,最後に流れる「Baby you're a rich man」はポップに仕上がったこの映画にこれ以上無いくらいマッチしていて,実に美味しい.映画館からの帰り道,iPodに入っている(Beatlesは勿論全アルバム入っている)この曲をリピートして聴いていたけれども,この曲は最早Beatlesのものじゃなくこの映画のものになってしまったような気がした.
2011/01/16
The Social Network (2010)
カンディンスキーと青騎士展
- カンディンスキーと青騎士展
- 三菱一号館美術館
三菱一号館美術館の開館第三弾企画展は,ミュンヘンのレンバッハハウス美術館からロシアの抽象画家Kandinskyを中心とした作品展.Kandinskyは「青騎士」と呼ばれる美術集会を結成し,彼の抽象画のコンセプトや理念を共有しており,レンバッハハウス美術館は青騎士による抽象画コレクションで知られる美術館である.実は,2年半前,ミュンヘンで余力があれば訪れようと思っていた美術館の一つではあったのだけれど,ミュンヘンは自分のドイツ紀行の中で唯一,不完全燃焼となった街で,というのもリコンファーム手続きの行き違いから,一日を情報収集と空港往復に費やしてしまった為だ.というわけで,元々,三菱一号館の企画展は一癖あるものが多かったのでアンテナを張っていたけれども,そうでなくても時間があれば行っていたであろう企画展だ.ただ,結論から言えば,正直,海外旅行先で時間を割いて郊外まで見に行くほど魅力的だったかといわれれば正直そうでもない.実際,レンバッハハウスは画家であったLenbachのアトリエであるその建物と庭園が見所のひとつとなっており,作品だけなら市内のノイエ・ピナコテークやアルテ・ピナコテークの比較にならない.
さて,今回の美術展も青騎士の作品群は,個人的には抽象度が高過ぎていま一つ.抽象画が嫌いなわけではないし,面白みはある.インスピレーションは受けるけれども,何時間も何日も観続けていたいような絵は無かった.Kandinskyの絵で一番印象的だったのは,美術と私生活ともに長年のパートナーであったGabriele Münterの肖像画だ.抽象画の印象が強いKandinskyらしくない写実性が意外で面白かった.彼の抽象画の鮮やかな色遣いとは正反対の,淡い色彩も印象的だった.そして,もう一つ,今回の美術展で最もインパクトがあり,且つ引き込まれた絵は,他でもないLenbachの自画像だ.一度向き合ったら最後,目を逸らすことさえ許されないような圧倒的な迫力がある.繊細且つ濃厚な表情の画風とは裏腹に,顔以外の部分のタッチがやや荒めに仕上がっているのも,自画像の表情の存在感を一層際立たせることに一躍買っているようにも思う.今回の企画展最大の失敗は,この絵をレンバッハハウス美術館の紹介と併せて最初のフロアに展示していることではないだろうか.
モネとジヴェルニーの画家たち
- モネとジヴェルニーの画家たち
- bunkamuraザ・ミュージアム
渋谷はbunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「モネとジヴェルニーの画家たち」展.12月上旬,開会まもなく訪れていたのだけれど,積もり積もって今更のレビュー.ジヴェルニーはパリ北西に位置するセーヌ川沿いにある,印象派のMonetが晩年移り住んだ街である.バルビゾンのMilletほど知られてはいない(実際自分も知らなかった)と思うが,CézanneやBonnardはじめ多くの画家達がこの街を訪れたとのことである.特に,アメリカからの来訪者は非常に多く,このジヴェルニーでのコンセプトが広くアメリカに渡ったという背景があるようだ.この企画展は,Monetをはじめとするジヴェルニーの画家達の作品と,そのアメリカ印象派への影響をテーマとした美術展だった.
尤も,最近の美術展の中ではあまり印象に残るものではなく,展示された作品からも衝撃的なインパクトは受けなかった.取り分け,ジヴェルニー地方の積み藁の絵と,水辺の睡蓮の絵が非常に多かったのも,美術展全体をモノトーンなものにしてしまっていた感がある.アメリカ印象派への波及という意味でも,Monetらジヴェルニーの画家達の作風がそのまま引き継がれているというよりは,広く印象派の画風が引き継がれており,MonetよりはRenoirの作風に近いのではないかという印象の絵もチラホラ.ただ,アメリカ印象派の絵画はジヴェルニーとの関係を無視してもいい絵が揃っており,庭園の鮮やかな色彩を点描で巧みに表現している作品が多かった.展覧会の顔の一つにもなっているRichard E. Millerの「水のある風景」やFrederick Carl Friesekeの「百合の咲く庭」などはその典型だと思う.
宮下奈都『田舎の紳士服店のモデルの妻』
伊吹有喜さんの『風待ちのひと』とは逆に,都会に生まれ,都会で結婚した主婦が,夫の(これもやっぱり心の)事情で遠い田舎へ移り住んだ物語.ストーリーや表現方法はまるで違うけれど,『風待ちのひと』と裏表で同じテーマが描かれているように思う.ただ,こちらの作品は都会の生活だけでなく,田舎の生活まで存分に皮肉的に書いているあたりが面白いけれど,都会生まれ,都会育ちの主人公ならば田舎の生活の魅力より欠点が先に目に飛び込んでくるのが自然なんだろうなと思う.“田舎生まれ”の宮下奈都さんが,田舎を賛美するではなくこのあたりをリアルに描いているのは流石.ただ,これまでの彼女の作品のような若々しさを期待して読むと,最後まで期待は満たされない一冊ではある(自分も中盤くらいまでかなり違和感を感じて読んでいた).読み終わってみると,宮下奈都さんという作家が,予想以上にしっかり地に足をつけた人だという意外な発見がある.
最初から最後まで,主婦視点での皮肉と説教が混じったような話が続く.「10年日記」と並行して,田舎での時間は着々と進んでいくけれど,その時間の中で彼女が見出していくものは,田舎の魅力ではなくて都会の虚構である.これまでの宮下作品の定番だった,「終盤にかけて自分の持つちからに気付いていく」という希望にあふれた展開ではなく,寧ろ最初がクライマックスでそこから着実に何かを失っていくような印象さえ受ける.それでも,夫や義父母,息子たちに対する思いや近所の人たちとの付き合い,元アイドルとの小さな浮気を通して,彼女が失っていったのは良いものばかりではないことに気付かされる.都会にありがちなうわべだけの人間関係や,嘘や自慢にまみれた情報からも遠ざかり,都会では絶対的に見えた息子の中学受験や友達選びさえ,それほど重要なものではないように見えて来た.
物語は最後の最後で,少しだけ希望を感じさせて終わる.長い時間をかけながらも,価値観をしっかり見直せる主人公が,慧眼なのか,単に田舎に染まっただけなのかを判別する材料には乏しいけれども,主人公の「気付き」の時間はまだこれから始まるのだと思う.
伊吹有喜『風待ちのひと』
『四十九日のレシピ』がとても良かったので,同じ伊吹有喜さんの作品『風待ちのひと』を読んだ.都会での生活に挫折した男性が,故郷の街で一人の女性と出逢い,生きることの意味を取り戻していくストーリー.主人公の抱える問題のリアリティ,故郷の街を描く表現の美しさ,物語を舵取る絶妙な小ネタの数々.どれもとてもいい.Amazonで「宮下奈都」と検索すると,なぜか伊吹さんの作品が一緒にヒットする,という話は以前書いたけれど,何となく,共通の読者が多いような感覚が分かる.
主人公の哲司は,心と家庭に問題を抱える中年男性.妻への劣等感,社会からの孤独感に蝕まれ,働くことの出来なくなったサラリーマン.そんな彼が,死んだ母の故郷で,それまで知らなかった母の姿,長い間触れることのなかった人と人との素朴な愛を見つけ出していく.全てを失ったように見えた主人公に隠れていた感性,センス,趣味の深さ,そういったものが田舎の生活の中で再び芽を出し,まわりに影響を与えていく.まわりの人間達もまた,それまで意識してこなかった自分の内面に気付き,主人公に影響を与えていく.使い古された言葉だけれど,人は弱い,一人では生きていけないんだということを改めて感じさせ,また人と支え合って生きていくことがどれだけ愛らしいものかを思い出させてくれる一冊.
物語の舞台となっている,紀伊半島の海辺の街の雰囲気もとても生々しく伝わってくる.読みながら,潮風が芳しく感じられるほどに.海辺の街に吹く風のあたり心地,匂い,海や道端,庭の瑞々しい色,近くの食堂の懐かしい料理の味,レコードから奏でられるオペラの音色,まさに五感全てに訴えてくるような気持ち良さがある.
この物語は,田舎に生まれ,都会で働く人にとっては物凄く心地よく,懐かしい作品だと思う.東京で働いている大半の人は,何かしら大事なものを見ないようにして生きているように見える.やがては大事なものが何だったのか,それすらも意識することがなくなってしまうだろう.会社での人間関係とはまた違う.結婚し,家庭を持つことで小さいながらも人と人との絆は得られるけれども,それが崩れたとき,大海のど真ん中に放り出されたような絶望感に襲われる,そんな感じじゃないだろうか.誰も自分をつないでいる糸は一本ではないけれど,日々の生活の中でその糸を見失ってはいけない.そして又,糸をもって人から支えられ,人を支える.そういうことが,読み終わった後に幸福感と一緒に残った.
有吉玉青『恋するフェルメール 37作品への旅』
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自分も,Vermeerの絵を見ることを数ある旅の目的の一つに掲げているので,書店で目に付いたまま買って読んだ.筆者のVermeer歴は羨ましい以外の何ものでもなくて,まだ観ぬ作品達への期待が高まった.とは言え,Vermeerや彼の作品に関して新鮮な情報やネタがあったとは言いがたく,内容も旅行記というよりは(言い方は悪いけれど)自慢話でとどまってしまっている印象だ.Vermeerの絵の説明についても一貫性に欠ける部分があるし,筆者の感想もいまひとつリアリティに欠ける.筆者ならではの見識や視点というものが見えず,どこかで聞いた理屈や感想を「ああ確かにそうだね」と確認するようなところがある.実際に筆者がそれぞれの絵にどれくらいインパクトを受けたのか分からないけれど,少なくとも文章からは,世間的に人気のあるブランド品を買い集めている程度の深さしか伝わって来ない.
Vermeerに限らず,本当に物凄い絵を観たときというのは,それだけで本を一冊書けるような衝撃がある,ものだと思う.勿論,実際にそうするにはそれ相応の深い見識と自分なりの立場,研究の成果や表現力などが必要になると思うし,残念ながら自分は成し遂げられる自信がないけれど,その種の衝撃が,どの章からも伝わって来なかった.彼女がVermeerの作品が好きだということはとてもよく分かるので,人とは違う何かを感じているには違いないんだろう.それを如何にリアルに伝えることが出来るか,という技術の重要さを再認識させられる.仕事や趣味の世界での自分自身を反省する材料になった.
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