2010/09/04

宮下奈都『遠くの声に耳を澄ませて』

遠くの声に耳を澄ませて
宮下 奈都
新潮社
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 現時点で出版されている宮下奈都さんの最後の著作『遠くの声に耳を澄ませて』.この本を読み終えてしまったらもう次は彼女の新作を待つしかなくなってしまう.それがあまりにも哀しくて,机の上に置いたままなかなか読み出せないでいたのだけれど,動かないでいても何も始まらないというのはこの一年で学んだ教訓でもあるので,意を決してページを開いた.

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 読み始めたの最後の短編集.
 最初の一編を読み終えたときに愛おしさを感じた.この人の作品は芸術のようだ.
 次の一編を読み終えたときに物哀しさを感じた.短すぎてあまりに足りない.
 次の一編を読み終えたときに絶望を感じた.『スコーレNo.4』の更に上を行くような清々しさと美しさと希望と愛を感じさせる至高の短編だった.やはりこの人の本が読めなくなるなんて絶望以外の何者でもない.

 この先を読もうか迷ったものの,途中で滞らせておくのもどうかと思いつつ,もう一編だけと四編目を読み始めたとき,全身が震える.電流が走るとともに,ページをめくる手が止まらなくなった.

 『よろこびの歌』と同じく最後に残しておいたこの一冊もまた,短編集ではないのだ.
 描かれない部分を自分の想像や空想で補いながら読み進めるのも小説を読む醍醐味の一つだろう.実際,彼女の作品でなければ自分もそうだ.しかし,次々につながって見えてくる彼女の世界は,自分の想像や空想ではとても描き出せないところにある.最後まで読み終えたとき,他の作品でそうだったように,彼女の作品に散りばめられた一つ一つの言葉を,壊さないようにそっと思い出しながら,恍惚といっていい読後感に浸るのだ.

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 袖触れ合うも他生の縁.知り合いとも呼べないくらいの遠い関係から,古い時代の恋愛関係まで,人と人とをつないで紡いでいくひとつの物語がある.12人の主観で見る風景は,それぞれ違っている.ある人にとって日常の何でもない一コマだったものが別の人にとってのかけがえのない記憶だったりする.宮下奈都さん持ち前の,抜群の感性と,磨き上げられた価値観と,にごりけのない透明感と,圧倒的な文才.大抵の作品(勿論,この作品にも)にはそこにモチーフとして「料理」が加えられ,そしてこの一冊に上乗せされたのは「旅」だった.旅を考える.生き方を考える.12人全員の眼鏡に,震えるような共感を感じて,思わず椅子から立ち上がる.今にも走り出しそうな足を,必死で押さえつけて続きを急ぐ.

 この本におさめられた短編の幾つかについて,覚書をしておこう.

・「どこにでも猫がいる」
 圧倒的といっていい.自分を根こそぎ描かれたような恥ずかしさすら感じる.言葉の一つ一つに,一瞬たりとも気が抜けない.宮下奈都さんの魅力を十二分に詰め込んでなお,構成や言葉の選び方,濁し方まで,魅力に底が見えない.

・「秋の転校生」
 みのりのご飯に対する思いが,あまりに美しい.他の作品でモチーフになった豆以上に,食の幸せを感じる一編だった.

・「白い足袋」
 一人の若い女性がぬかるんだ雪道を足袋で全速力で走り抜く姿を,これほど迫力と希望を感じさせて描くことが他の作家に出来るだろうか.「足袋で全力疾走」という字面から想像される滑稽な絵とは逆に,読みながら思い描く絵はあまりにも美しかった.

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