初めて行った大学の学園祭が東京大学で,アカデミックな企画が目白押しだったから,自分の母校の学園祭でさえあまりに幼く見えてしまって,毎年学園祭のシーズンは国内旅行に充てていた.ゲストの有名人ばかりが話題に上がる他の大学の学園祭にも特に興味が無かったが,芸術系の大学の学園祭だけは企画の内容からして色が違うので関西でも何度か遊びに行ったことがある.東京に戻って来た今年は,本命の東京藝大の学園祭に是非行ってみたいと思っていて,満を持して参戦して来た.午前中に新美術館の二科展で1000点以上の作品を見て来たあとだったので,既に頭が朦朧としている状態だったのだが,そんな疲れを忘れさせてくれるくらいにいい企画が多かった.
模擬店にはまったく興味が無いので,焦点は美術,映像,映像の三つ.知り合いの娘さんの作品が展示されているとのことで,まずは美術からひととおり観たあとで映像,音楽とまわって来た.
美術は,油絵,デザイン,彫刻などなど分野,年次ごとに展示が分かれていて,とにかく日本画がいい.一番良かったのは修士課程の学生の日本画の展示で,職業画家にはない開放感が一番に感じられた.
二科展を観てきた直後だったということもあるのだけれど,まさに若い人達の,そして学生の作品という感じが物凄くする.素人目に観ても,新しさと面白さがある.それでいて流石にベースの技術がしっかりしているから,見ていて圧倒される作品がチラホラある.作品そのものよ以上に,隣に置かれている過去の作品集やデッサン帳が強烈で,この人達は自由に,愛を持って絵に向き合っているという印象を受ける.プラスの方向での苦悩が見える.彫刻やデザインの分野でも,そういった印象はいやというほど感じられて,とても強烈なインスピレーションを貰って来た.
二科展のような正統派の美術展の場合,多くの作品は,それで生計を立てるのだという制約もあって,企画展の締切までに作品を完成もさせるし,完結もさせる.時には妥協も止むを得ない.戦う相手は自分自身だけではなく,時には他の出品者であり,審査員である.「この絵にはまだ先があるから,出展を来年に延ばそう」という風にはなかなかならないものなのではないか(実情を知っているわけではないので作品を見ている限りの想像でしかないが).そんな印象を受ける絵が,少なからずあった(逆にそうではない作品は学生より遥かに上乗せされた技術と経験と信念を以ってして圧倒的なパワーを魅せつけるのだが).
一方で,藝大の作品群はそれとは違う.この学園祭に最悪間に合わなくても,製作者の人生が途切れるわけではないのだ.賞を取ることが目的ではない(学園祭でも投票制度は設けられていたけれど).戦う相手は,確実に自分自身である.締め切りを意識する前に,自分の作品と時間の限り対話する.そこで生まれるのが,新しさであったり,面白さであったりするのだと思う.実際に,明らかに製作の途中で展示にまわしている作品もチラホラあった.でも,そこからは未完成の失望ではなく,あとあと到来する完成への期待を感じてしまうのだ.
双方に,それぞれ魅力があり,それぞれ勿体なさがある.パトロンについて媚を売る美術の時代はおおむね終わったけれども,現代には現代の,絵画の落とし穴や難しさがあるのだなということを自分なりに感じ,一方で,普段見られない絵画の最先端をあらあらと見せ付けられた一日だった.
映像は,学生製作を何本か見るも,一つ一つが短いので,もう少し長めの作品を見たかった.長めの作品も上映されていたはずなので,時間に余裕をもって,機会があれば来年また来たいなと思ったが,そもそも多くの学生の作品を流すという意味で,多くの学生には時間の制約もあるのかも知れない.音楽は,ケルトミュージックのミニ演奏を聴いてきた.本当なら,もう少し長い演奏会(この日ならオルガンコンサートなど)に行こうと思えば行けたのだが,何と藝大の学園祭のあとで今度は渋谷の美術館にハシゴする予定があったので,ここはあえなく断念.人数的にも,音楽の企画に一番人が集まっていて,企画の時間近くになると長い行列が出来るという感じだった.やっぱり,じっくり時間をかけて回るのがいい.


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