三浦綾子もまた読むのは高校のとき以来.高校一年の夏休みに,三浦綾子の『泥流地帯』が課題図書で出されて,感想文だか評論だかを書かされたか書かされなかったかは覚えていないが,思いのほか面白くて『続・泥流地帯』や『塩狩峠』まで読んだ記憶がある.内容的にはだいぶうろ覚えだけれども,愛であるとか自己犠牲であるとかといったテーマは自分にはとても近いものに感じられて,根本的なところはいまだに自分自身の血肉として身体をめぐり続けているように思う.久々に三浦綾子を読もうと思って書店に入って,表紙の淡白さと帯のフレーズに惹かれて買って来たのが『ひつじが丘』だ.
話の展開そのものは,ありがちで,緩やかに進む.つまらないわけではないが,急かされるような出来事もない.ただただ,自分の日常や倫理観と照らし合わせながら読み進めて,最後の数ページで一気に涙が止まらなくなった.最後に登場した宗教画の描写があまりにも美しかったことと,それがこの物語の核心をあまりに象徴的に描いていたからだ.読んでよかったと思う.
それ以外で『ひつじが丘』で一番印象的だった一文は,「他の人に対しては忍耐深く寛大であれ.あなたも他人が耐え忍ばねばならぬようなものを,事実において多く 持っているからである.」というもの.イミタチオ・クリスチからの引用とのことだが,実践できているかどうかは別問題にしても,自分はこれに近い価値観を 随分長いこと信念の近いところにおいてきたつもりでいる.元々,怒ったり許せなかったりすることはない穏やかさはあると思うのだが,加えて理屈でも,果た して目の前にあることに怒りをあらわせるほど,自分は誇るべき生き方をしているだろうか,と考える節がある.この小説を読み終えて,こういう自分の価値観 は無駄ではないし,例え報われなかったとしても,例え自己満足でしかなかったとしても,誰かを傷付けることにはきっとならないと改めて考えさせられた.
象徴的なシーンがあるわけではないし,表現や構成に格別魅力を感じるというわけでもない.それでもこの人の本に安心感を感じるのは,多分,自分自身かなりクリスチャン的な価値観に近いものを持っているからなんだと思う.自分自身無宗教の無神論者であるし,いまの宗教には嫌悪感ばかり感じる人間の一人でもあるわけだが,文化や歴史としての宗教と,旧時代に築き上げられてきた倫理的な宗教にはある種の畏敬を感じるところがある.度重なる歴史的な事件や事故の中で,人間が自身を省み,戒め,問い続けてきたがゆえに磨き上げられた生き様や理想のようなものが感じられる.今でこそ,哲学や神学,文学といった領域でやたらと難しく語られがちな宗教観も,実は日常のよしなしごとに落とし込んでみれば,いたって簡単で,わかりやすいものなのだということが,三浦綾子の小説を読むとよく分かる.聖書的な難しさと,人間の日常との間を橋渡しするようなところが,三浦綾子の小説の醍醐味だと思う.この本の中で意外と面白かったのが水谷昭夫による巻末の解説で,本編を読み終わったところで自分が感じたこれらのことを,スッキリと整理する指針になった.
身のまわりを見ても,どこか歯車のずれている日常がそこらじゅうにある.価値観が違うから嫌だとか憎たらしいだとかは思わないけれど,それにしても,倫理観や道徳観といったものを,考えたり見つめなおしたりする時間そのものが,今の日本には足りないんじゃないだろうかと思うときがある.三浦綾子の小説は,若年層のみならず大人にとっても,キリスト教という一方向からの価値観ではあるにしろ,そういったものをかなり近しく考えさせてくれるいい材料になるだろうと思う.


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