院生が映画なんか見ている時間あるのか,って話だけれど,正直,無い.それでも最近は,帰国後太った体を元に戻すために筋トレをしながら時間を作って少しずつ見ている.
この映画は,タリバン政権下のアフガニスタンを,女性差別の観点から描いた作品.映画というよりは,限りなくドキュメンタリーに近い作品.昔見た「THE GREY ZONE(灰の記憶)」に近いにおいを感じた.
テーマがタリバンやアルカイダの軍事的な搾取や暴政でないからこそ,アフガニスタンという国の本質が見える部分もある.この作品がどれほどリアルなものなのかを,今となっては正確に知る術はないけれども,少なくともテロという一言で全てを知ったかのように錯覚してしまっている我々に,別の悲劇を感じさせてくれる作品だ.
それでも,この映画を見る限りで,人々がタリバン政権にこれほどまで従順で居続ける理由がいまひとつ見えてこない.イスラムの教義であったり,タリバンのそれこそ軍事的な力であったりと,自分の知らない背景が多過ぎるのも一因だけれど,この圧政を打破出来る芽は,本当に国内に無かっただろうか.
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少し雑談を.
「国という概念はもう古い」というのは,自分がここ6年くらい言い続けているスローガンだ.といっても,アクションを起こすような活動家でもないし,一つの価値観にとらわれ過ぎない為の戒めくらいの軽い気持ちで掲げているに過ぎない.
ただ,最近(特にObamaの就任や日本の政権交代をきっかけにして),切実に思うのは,そもそも「国」なんてただの大きな「私」じゃないか,という事.日本みたいに“社会主義”が上手く機能している国はまだしも,度重なる紛争で政権を勝ち取った政府,宗教によって均衡点を見つけた政府,どのような場合であっても,国とは,結局,社会システムという形をとった大きな「個人」でしかないと思うのだ.
国家や政府の形が様々なのも,結局はそれらが自然的な必然性を兼ね備えていないあらわれであり,「私」であるがゆえの個性ではないか.国が「私」である事は,ナショナリズムもグローバリズムも否定するものではないはずだ.ただただ,その国家が絶対的なものではない事に,可能性を見出せるだけだ.
社会論的な難しい事は分からないけれど,Lockeあたりが言っていた社会契約って考え方そのものに,そろそろ限界が来ているんじゃないかなという気がしないでもない.社会契約に失敗している圧政国家であれ,成功している先進国であれ.
ものすごく直感的な言い方をすると,社会契約って,なんとなく物理でいうところのエルゴード性を無理やり人間社会に認めさせちゃっている感じがするんだよなぁ…….相変わらず,何が言いたいのかサッパリ分からないな.
市民革命の頃の啓蒙思想や社会契約論を,一から勉強しなおしてみたい.
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